2007/07/01

自由と生存のメーデー07への連帯メッセージ

自由と生存のメーデー07へ届けた2本の連帯メッセージを貼っておきます。

●長居公園一日テント村〜明るいビンボー☆メーデー

 自由と生存、いいですね。欲しくてたまらない。
 自分たちが生きていく当たり前の条件すら不安定で、自分自身の見通しすら立たない、こんな怖い状態にさらされて、生活に追われていく。
 せめて明日の生活を心配することなく生きたい。たまには友人と飲みにも行きたい。趣味に使うお金もやっぱり欲しい。
 ささやかな欲望すら満たされないまま。

 そして、2007年2月5日。
 忘れられない日となった。長居公園テント村が大阪市によって排除された日。
 この日、テント村にはたくさんの人が集まった。強制排除に抵抗しに来た人と強制排除をしに来た人で。
 どちらにもフリーターや日雇い労働者など不安定な雇用状態で生きる若者でたくさんだった。そして撤収作業をする、日雇いの作業員や警備員と対峙することになった。
 貧乏人同士が争うこの構図は悲しすぎる。

 自分たちの生活ぐらい自分で納得できるもんにして生きていきたい。分断されるなら自分たちでしっかり繋がっていけばいい。

 東と西で同じ日に誰の為でもない、それぞれ自分たちの、ビンボー人の為のメーデー。ともに盛り上げましょう!


●長居公園仲間の会

誰かがこう言った。「声をあげたら生きていけない。」
ほんとうは違うだろ。声をあげなきゃ生きていけない。

野宿の仲間は排除された。テントは強制撤去された。解体したテントをトラックに積み込んだのは日雇い派遣のフリーター。おれたちの抗議行動を制し続けたのも臨時雇いの警備員。彼らはその時、何を思っていただろうか。来年も同じ仕事をしているだろうか。2007年2月5日を忘れない。

ダンボールハウスに石を投げつけ、花火を打ち込んだ中学生は、五年後も帰る家をもっているだろうか。おれたちとキャッチボールをした近所のチビっこは、投げるものを間違えずに生きていけるだろうか。長居公園テント村の10年間を忘れてはいけない。

まだ形にすらなっていない個々バラバラにされたおれたち。生きて、うたって、アセかいて。日々の暮らしの営みのなかで、おれたちが分かち合えるものをつかみたいと願う。生きる手段が殺し合いなんて、もうたくさんだろ? その先なんて見たくないだろ?
貧乏人どうしが殺し殺される連鎖に、いつか終止符を打つために。おれたちは声をあげ続けよう。

http://mayday2007.nobody.jp/message.html
posted by kamapat at 00:00 | 明るいビンボー☆メーデー