19**年*月**日生まれ、**歳
靭公園で野宿する前には西区でアパートに住んでいました。ガスや石油のタンクを運んで取り付ける仕事をしていたのですが、年で体がしんどくなり、仕事がやっていけなくなりました。
2000年の7月ごろに仕事をやめてしまったのですが、次の仕事を探して、職安にも4、5回行ったけれど、探しても探しても仕事は無くて、家賃を払えなくなって、おととし2004年の9月頃に、アパートを追い立てられたので野宿になりました。そのとき、****、靭公園の東園の**のテントに住むことになりました。その年にすぐ****に移動してきました。****。ちょうどおととし(2004年)の10月くらいです。
テント生活になったあとは、アルミ缶収集と特掃(特別就労事業)などでなんとかやっています。アルミ缶収集は一回で300円くらい、特掃は一回で5300円で、アルミ缶は月に2、3回特掃は月に4回くらい行っています。炊き出しにはあまり行っていません。
フェンスが張られるとき(2005年11月)に、職員が2人くらいでテントに来て、工事をすると言ってきました。「工事をやるから」と言ったのは覚えていますが、他のことはあまり覚えていません。図面を1枚持ってきていて、どこの工事をするのかというのは言っていたと思います。テントに職員が直接来たのは1回だけだったと思います。工事をするというのは、出て行けというのと一緒だと思いました。
寄り合いや説明会には2、3回参加しています。その時の説明を聞いて、檻の中に入るのと一緒だと思いました。説明会のときの説明も分かりやすくはありませんでした。フェンスを張ると言っていたのは覚えていて、フェンスを張られたら檻の中だな、と思いました。「シェルターに入ったら生活できる」と言われましたが、3ヶ月だと言っていて、3ヶ月だけだったらどうにもならん、良くないなと思いました。3ヶ月だけだったら、とても生活できません。3ヵ月後のことについては、聞いていません。シェルター以外についての説明は、忘れているのかもしれないけれど、説明されていないと思います。
私は生活保護やシェルターについて要望していません。ここに居られたらいいな、と思っています。他に住むあてもありません。仕事は、もう年なのでまともにできません。アルミ缶は、ここを離れると置いておく場所もないし、拾いに行く場所もありません。特掃は行けるだろうけれども。ここを追い出されると、にっちもさっちももいかん、と思っています。生活できなくなります。ここで生きていけたら幸せだと思います。
高くは望みません。