2006/01/25

仲間の声(2)

(裁判のために作成した陳述書より、本人の同意を得て転載。個人が特定できそうな箇所は消しています)

19**年**月**日生まれ、**歳

 生まれは***です。中学を卒業してからさまざまな職に就きましたが、35歳の頃にガラス屋に就職しました。ビルの建築現場などでサッシに板ガラスをはめ込む仕事です。20年くらいこの仕事をやっていました。母親はいま神戸に住んでいます。別れた嫁との間に子どもはありません。ずっと地元の**でアパートに住んでいましたが、5年ほど前に失業してから、大阪に来ると仕事が見つかると考えて西成へやって来ました。

 けれども仕事は見つからず、知人に紹介されてアルミ缶拾いを始めました。最初は西成区の花園中学校の前で野宿をしていました。

 のちに西区内の高速道路の下で3ヶ月ほど野宿をしていました。のちに土佐堀通り肥後橋近くの歩道のテントで生活しましたが、追い立てに合ったために住居を探していました。2004年7月、知人に紹介されてうつぼ公園に移り住みました。紹介してくれたのは、以前うつぼに住んでいて今は生活保護を受給している**さん。****のテントに入りました。現在は****にテントを張っています。

 現在の仕事は段ボール集めが主力です。一日平均して2000円くらいを稼いでいます。午後3時頃から夜中の2時頃までかけて段ボールを集め、阿波座の回収業者でさばきます。朝の5時ごろにならないと回収業者が買い取りを始めないため、2時間くらい待ってないといけません。都合、15時間くらいを週に5日働いています。段ボールは1キロ5円で、400キロぐらいをリアカーに積みます。

 眠るのは朝の8時か9時頃で、昼の2時頃には起き出します。食事はカセットコンロで自炊していますが、ごはんやラーメンに缶詰くらいで、野菜はほとんど食べません。風呂は週に一度、西成の銭湯に行きます。

 1年半前にうつぼ公園に引っ越してきたときすでに工事は始まっていましたが、当時公園事務所からは何も話はありませんでした。昨年の10月に「11月で終わりやから出て行け」という意味のことを言われました。西村係長に「大阪城公園にテントを張れるから行ったらいい」と言われたのを覚えています。

 この1月16日の月曜日、西村係長に「テントを張れるところがあるから行こう」と言われて、いっしょに公園事務所の車に乗りました。着いてみると大阪城公園のシェルターでした。「だまされた」と思いました。

 シェルターは1年しかいられないと聞きました。自分の感覚では1年は1ヶ月ぐらいに感じます。あっという間です。それに、5キロか6キロの道を坂を越えて森之宮です。そんなところからこっちの方へリアカーを引いて通うことはできません。

 公園事務所には不信感を持っています。生活保護を取ったとしても最期まで面倒をみてくれるわけではないので、信用していません。福祉事務所に放り込んだらバトンタッチしておしまいです。

 強制排除になると困るのは、やはり仕事のことです。リアカーを安心して置ける場所がありません。路上にリアカーを停めて、リアカーの上で寝袋で寝るしかありません。「強制撤去になってもこの辺りにいる」と西村係長にも話しています。
この記事へのコメント
なんでコメント欄消したの?(・∀・)ニヤニヤ
Posted by at 2006/01/31 14:46
このコメント欄を消す事こそ、
貴方達がヤマシイ事をしている証拠だな。
Posted by at 2006/02/01 10:26
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