2006/02/06

靱公園自治会声明

靱公園の元住民が連絡を取り合い、作った声明文です。
以下、手書きで書かれた文章(原案:Mさん)をそのまま打ち込んだものです。


1月30日になされた靭公園における野宿者テントに対する行政代執行について

2006年2月6日

靭公園自治会

 前略 今回の騒動で地域の皆様に大変なご迷惑をおかけした事を、深くおわび申し上げます。さて、私達に対するいろいろな批判なり意見がありました。それについて、私達なりの考えをここにのべようと思います。
 公園内にテントがある事により子達を公園で遊ばすのに不安を感じるという発言です。この発言には偏見と差別を感じました。私達があれほどテントを必死で守ろうとした。それは、この寒空に靭公園を追い出される事が私達の命にかかわるからであり、公園とその周辺地域がどれほど私達にとってだいじであるかを表わしています。周辺地域でアルミ缶、ダンボール、古新聞などを集め、日々の生活の糧としていたのです。
 支援の団体の方々の協力により靭公園には自治会がありました。自治会では地域に迷惑をかけないという事が頻繁に話しあわれ、月1回の公園と周辺の掃除をしてまいりました。地域の人にきらわれてはテントを守ってゆけない。生きてゆくための糧を得る場所を失う。この事をわかってほしいと思います。
 次に報道関係の方々がいわれている自立支援センター、シェルターにはいらないのはわがままであるという発言であります。この発言を聞き、報道関係の方々がいかにこの問題に関して知らなすぎるか思いしらされショックをうけました。
 生活の糧を得るためにしている事を私達は仕事といっています。仕事をし、月2〜3万をかせぎ今日も生きていると思う事によりそれなりに満足してきました(一般の方からみれば、電気もガスもない生活は大変だ)。かりに報道関係の方々がいきなり今の仕事をやめなさい、○○工場で働きなさいといわれたらどうしますか。私達が自立支援センターにはいれといわれるのも、これとおなじように思うのです。それなりに満足しているのに、考えてしまいますね!
 次に大阪城のシェルターです。その前に(何年もかかり、どこに何が何時にでるかをしらべてきた)私達の仕事について説明しなければいけません。
(1)アルミ缶を集める人
(2)ダンボールを集める人
(3)古新聞、雑誌、古本を集める人
(4)食物、古着を集める人
(5)銅などの非鉄を集める人
 このようにいろいろな仕事をしている仲間がいます。
 私達がかりに(1日、飯とつけもの1食くれる)シェルターに入っても生活の糧は自分でかせがなくてはいけません。シェルターにはアルミ缶買取り場所はありますが、他の物は買いとってくれません。今までなら10分ぐらいで売りにゆけたのが、シェルターからだと4〜5kmもリヤカー、台車をおしていかなければなりません。シェルターには、ましてリヤカーなどおく場所もない。ここで生活をしてゆけますか。
 ここで地域の皆様や商店街の方々にいままでの支援ありがたく感謝しております。食物、アルミ缶、古新聞などを、いただきました。「死んだ夫の古着です。きてください」と、わざわざテントまでもってきていただいた方もいらっしゃいました(このような方々は決して外に向っていわれませんが、私達を理解し支援してくださいました)。今だに失われない、日本人のやさしいおもいやりを感じます。ありがとうございました。
 次にのべる事が1番だいじな事です。代執行だけを強調され報道されましたが、いったいこんどのバラ博が必要であったのかどうかという問題です。公園には、美しい赤土の市民のためのテニスコートがありました。行政はこれをつぶし、何十年も生きてきた木を切り今も切っている。観光客のため、外国からのお客様のため、大阪のイメージアップのため、何十億もの税金をつかい、行政の顔は市民にむけられていますか?
 阪神大震災以後大阪でも東南海地震に対する防災がさけばれています。バラ博、防災の事も考えながらの工事とはとても思えない。道路に看板があります。「緊急避難場所靭公園」、公園はフェンスの中にあります。バラ博工事が終了するまであのフェンスはある。地震は、いつ起るのか。だれか知っている人はいますか?それとも役人はしっているのか?
 バラをうえたやわらかい土の上に仮設住宅は建つのか?何年もかかって、踏みかためられたテニスコート。根のはった土の上ならしっかりと建つ。冬の寒い日、電気、ガスがだめでも、木があれば寒さをしのげる。夏の暑い日は木陰にはいればいい。夏の靭公園、群をなして蚊が飛びかっている。公園事務所はそれを放置している。震災があれば、蚊は病原菌をまきちらしますよ。
 小泉さんのまねではないが民主主義の政治下では協調と対話が必要であり、対話をするふりをし協調性をもたない大阪市。
 最後に関市長に言いたい。あなたのおじいさんは市民に感謝され歴史に名を残しました。日本人の恥の文化を知った方でありました。弱い立場の人々をいじめおいつめ、最後はどのような結果になるのか。過去の歴史を知っている方ならわかるはずです。自分の名だけを上げようとあせる人は、結局悪名だけを残す。恥とはなにかをしらないあなたが墓にはいる時、どんな顔をしておじいさんや先祖の方々とお会いになるのですか。
 「全国からの支援ありがとうございました。」
 靭の桜は美しい。ましてそれを観る人々は桜にまけないほど整然とならびすわり、酒を飲み美食し、やさしくおもいやりの心で野宿者にテント生活者にふるまい美食をわけた。その光景は、桜の下で1つのものとしてとけてゆくようだった。今は桜も人をこばむフェンスの中にある。
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